2013年6月7日金曜日

【開催報告】「脱成長」は危機を救済できるのか? ドイツの社会運動内の論争から学ぶ



 先にお知らせしたとおり、ATTACドイツのマティアス・シュメルツァーさんをお迎えし「”脱成長”は危機を救済できるのか? ドイツの社会運動内の論争から学ぶ」を開催いたしました。
 「脱成長」という、親しみやすいとは言い難い議論であるにもかかわらず。20名以上の方にお集まりいただき、質疑応答も活発に行われました。

 シュメルツァーさんの講演は、昨今日本でも注目を集めているセルジュ・ラトゥーシュの「脱成長」論を批判的に継承し、南北間の公正やジェンダー問題などの要素を加味していくべきだ、という趣旨のものでした。
 シュメルツァーさんによれば、国民一人あたりのGDPがあるラインを越えると、GDPと教授する福利に相関は見られなくなる、と多くの厚生経済学者は考え始めているという点から、「成長」概念の限界が見え始める、というものです。従って「脱成長」はこの一定ラインのGDPを越えた先進国の議論であり、第三世界においてはまだまだ「成長」の必要性は否定できない、とされました。
 その上で、環境上の条件、特に気候変動の問題が「成長」の上限を規定するため、我々は「成長なしに生活レベルを維持すること」を真剣に考慮しなければいけません。もちろんここで問題なのは種々の資源の利用であり、単純に額面上のGDPが延びるかどうかというのは問題ではありません。ただ、環境負荷を減らさずにGDPを成長させていくのは難しいのではないか、ということは言えるでしょう。
 そういった意味では、「脱成長」という言葉そのものが強すぎる主張であるという問題も含んでいます(それゆえに、キャッチフレーズ的に濫用されてしまうということにも、シュメルツァーさんは批判的であるようです)。シュメルツァーさんとしては、Agrowth (無神論 Atheism や アセクシュアル Asexual と同じ接頭辞の A。無成長とでも訳すべきであろうか)ぐらいの言葉がいいのではないか、との意見でした。ドイツ語では「ポスト成長」のような意味合いの言葉を使うとのことです。

 いずれにせよ、賛否両論を含めて、脱成長論議は高い関心を得ており、今後もこういった機会を通じてみなさまと考えて行ければと思っています。